九州神社紀行2

北九州近郊を中心に神社、野鳥および周辺風景の撮影日記です。

諏訪大社・上社前宮(長野県茅野市)

一の鳥居
 長野県諏訪盆地の中央に位置する茅野市にあります。諏訪湖の南、中央線茅野駅の西、上社本宮の東、およそ2km、宮川の高台に鎮座しています。鳥居には平成16年5月建立とあります。

 

 本家サイト九州神社紀行諏訪大社・上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえみや) を掲載しました。

おことわり:掲載の写真は、参拝当日(05/17/2009)のものです、現在と異なっている場合があります。

 


 信濃一の宮式内社諏訪大社・上社前宮(すわたいしゃかみしゃまえみや)
<通称>
【鎮座地】〒391-0013 長野県茅野市宮川2030 旧信濃国 諏訪郡   
【電話】0266-72-1606 https://suwataisha.or.jp/
【旧社格等】 官幣大社(現別表神社
       信濃一の宮
       式内社 信濃國諏方郡 南方刀美神社2座 名神大     
【御祭神】 ・建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ) 


 {例祭】  4月15日 例大祭 

【御由緒】
  諏訪大社由緒略誌

 御鎮座地
  当大社は諏訪湖の南北に二社ずつ、四ヵ所に鎮座する独特の形の神社で関係の摂末社は六十有余社を数え群内全域に分散しています。
 諏訪大社 上社、本宮、長野県諏訪市中洲宮山鎮座。前宮、長野県茅野市宮川鎮座。
 下社春宮、長野県諏訪郡下諏訪町鎮座。秋宮、長野県諏訪郡下諏訪町鎮座。

 御祭神
  建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)
 建御名方神大国主神と高志沼河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
  下社には御二柱に併せて御兄神八重事代主神を祀りますが、一般には古くから上社に男神、下社に女神の信仰が広く伝わっております。

 御鎮座、並、旧社格
  御鎮座の年代は千五六百年から二千年前と言われ詳細については知るすべもありませんが、我国最古の神社の一つと数えられます。
 延喜式神名帳には南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)と記され、信濃国四十八座の第一にあり、当時既に信濃国一之宮として信仰されていたことがわか  ります。明治四年に国幣中社に列格、同二十九年に官幣中社、大正五年に官幣大社に昇格し、終戦を迎え昭和二十三年に諏訪大社と改称致しました。

 諏訪信仰
  全国に分布する御分社は一万有余社を数えお諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、敬われつゝ巾広い信仰を有し、御神徳の数々、枚挙にいとまありませんが、
 古くからある信仰には雨や風を司る竜神の信仰や、水や風に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名です。また水の信仰が海の守り神となり、
 古くからあ る港の近くには必ずと言っても良い程にお諏訪さまがお祀りされております。
  神功皇后三韓征伐や坂上田村麿の東夷平定にも神助ありと伝えられ、東関第一の軍さ神、武家の守護神とも尊ばれて来ました。
 精進潔斎を形だけする者より、肉を食べても真心込めて祈る者を救おうという諏訪大明神御神託や、浄瑠璃や歌舞伎の本朝二十四孝が世上に広まるにつれ、
 日本の屋根信州諏訪の地へとの参拝者も日と共に繁く、諏訪大明神の御神徳の厚きことが伺われます。

上社前宮
本宮の東約2キロ、中央線茅野駅からバスで約五分の所に鎮座します。境内の大半を占める広場を神原(ごうばら)と言い、大祝の居館である神殿(ごうどの)と附属する沢山の建物が軒を連ね、上社の祭祀の中心地でしたが、室町時代の中葉に神殿が移転され、多くの建物が消滅し、現在では祭典に必要な建物だけになりました。
神原の中心をなし諏訪大神の幸御魂、奇御魂を祀る内御玉殿(うちみたまでん)は一部に天正十三年の旧殿の材を使い、昭和七年の造築です。隣の十間廊はその奥行から付いた名称で神原廊とも言い、上社最大の神事御頭祭はこの上段に神輿を安置して執行します。
前宮御本殿は内御玉殿から二百米上段で、古くは神殿に附属したお社でした。高台で豊富な水や日照が得られる良き地で、御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています。現在の社殿は昭和七年伊勢神宮の御用材を以て建てられたものです。
内御玉殿の百米程西に諏訪大神の神裔諏方氏が大祝の職に就く時、極めて重要かつ神秘な儀式が行なわれた鶏冠社という社があります。

 御社殿
上社本宮、幣殿、拝殿、左右片拝殿、脇片拝殿、以上天保九年(1838)、四脚門、慶長十三年(1608)。下社春宮、幣拝殿、左右片拝殿、以上安永九年(1780)。下社秋宮、幣拝殿、左右片拝殿、以上安永十年(1781)、神楽殿天保六年(1835)。

 (平成祭りデータ)


【参拝月日】 05/17/2009

 

社号標

 鳥居をくぐって直ぐ前方にあります。「官幣大社 諏訪上社前宮」とあります。当社は、御祭神が最初に居を構えられた場所で、諏訪信仰発祥の地とも伝えられています。

 

二の鳥居

 鳥居の前の広場は神原(ごうばら)と云い、政治と神社を司る、現人神(あらひとがみ)である大祝(おおほうり)の住まいである神殿(ごうどの)と付属する建物が多くあり上社の祭祀の中心でありました。


諏訪信仰の中心にある存在。それが「大祝(おおほうり)」です。

大祝は神そのものではなく、神様の霊が宿る依代(よりしろ)として「現人神(あらひとがみ)」と呼ばれ、神の意志をこの世に伝える役割を担っていた、とても特別な存在でした。



     諏訪大社上社前宮神殿跡案内


 長野県指定史跡
諏訪大社上社前宮神殿跡
   昭和39年8月20日指定
 ここは、諏訪大社大祝の始祖と伝えられる有賀がはじめて大祝の職位について以来、同社大祝代々の居館であったところで、神殿こうどのは神体と同視された大祝常住の殿舎の尊称である
この神殿のあった地域を神原ごうばらと言い、代々の大祝職位式および旧三月酉日の大御立座神事 (酉の祭)をはじめ、上社の重要な神事のほとんどが、この神原で行われた。境内には御玉殿・十間廊・御宝社・若御子社、鶏冠社、政所社、柏手社、溝上社、子安社等がある
 文明十五年(一四八三)正月、大祝家と諏訪惣領家の内日による争いで一時聖地が穢されたことはあったが、清地にかえし大祝の居館として後世まで続いた。
後、この居館は他に移ったが、祭儀は引続いて神原に於いて行われてきた。 諏訪大社上社祭政一致時代の古体の跡を示している最も由緒ある史跡である。
 昭和三十九年八月二十日
  長野県教育委員会
  茅野市教育委員会
  (現地案内板)



手水舎

 鳥居の左手前にあります。


十間廊

 古くは神原廊と呼ばれ、前宮の神事の多くを行う場所です。鹿の頭75頭を供える、上社最大の神事御頭祭はこの上段に神輿を安置して行われます。

 

  十間廊じっ けんろう
 古くは神原廊と呼ばれ中せまで諏訪祭政の行われた政庁の場ですべての貢物はこの廊上で大祝おおほおりの実見に供された、毎年四月十五日の「酉の祭には鹿の頭七十五がそなえられたがこれらの鹿の中には必ず耳の裂けに鹿がいることから諏訪の七不思議にかぞえられた
上段に大祝の座次に家老、奉行五官の座があり、下座に御頭郷役人の座なども定められ左手の「高神子屋」で演ぜられる舞いを見ながら宴をはった
 安国寺史友会 (現地案内板)

 

若御子社

 鳥居の右手にあります。諏訪明神とされる建御名方命の御子達を合祀しているといわれています。


 若御子社
諏訪明神とされる建御名方命の御子達を合祀しているといわれる。諏訪大社関係にはきわめて優れた古記録文書が多いがその中でもっとも名高い文書に「詠方大明神絵詞」がある。
 室町時代になるこの文書の中に正月一日、犬祝以下の神官、氏人はみな衣服をただしてまづこの若宮、すなわち若御子社を荒玉社と共に参詣したとある。 現在は諏訪神社末社となっている。
  安国寺史友会  (現地案内板)

 

内御玉殿

 十間廊の階段をはさんで右にあります。諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿です。

   内御玉殿
 諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿である 「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体となす」といわれたように
諸神事にあたってこの内御玉殿の扉をひらかせ弥栄の鈴ももち真澄の鏡をかけ馬具をたづさえて現われる大祝はまさに神格をそなえに現身の諏訪明神そのものであった。
 現在の社殿は昭和七年改築されたものであるが以前の社殿は天正十三年に造営された上社関係では最古の建造物であった。
   安国寺史友会 (現地案内板)

 

御室社

 内御玉殿の一段上、巨木の根元に鎮座しています。御祭神は八坂彦命が祀られています。

 御室社
中世までは諏訪郡内の諸郷の奉仕によって半地下式の土室が造られ、現人神の大祝や神長官以下の神官が参篭し、蛇形の御体と称する大小のミシャグジ神とともに、「穴巣始(あなすはじめ)といって、冬ごもりをした遺跡地である。旧暦12月22日に「御室入り」をして、翌年3月中旬寅日に御室が撤去されるまで、土室の中で神秘的な祭祀が続行されたという。諏訪信仰の中では特殊神事として重要視されていたが、中世以降は惜しくも廃絶した。

 

小町屋の中小路

 前宮神殿に居館を構えた現人神の上社大祝に直属する家臣たちの屋敷地が建ち並んでいたと思われる集落跡です。

  小町屋の中小路
小町屋集落は前宮を中心として大まかに三本の道筋が通っている。 その真ん中を上っていく道を中小路と呼んで、戦前までは一般の人々の前宮本殿への参詣道路であった。
 中世の古文書史料等から想定されるところでは、この中小路の両側に水眼の清流をはさんで、前宮神殿に居館を構えた現人神の上社大祝に直属する家臣たちの屋敷地が建ち並んでいたと思われる。
 また精進潔斎し、穢れをとって前宮の、神事や祭礼に奉仕する人たちの精進小屋なども設けられたところで、景観は大事に保存したい。
  安国寺史友会 (現地案内板)



本殿

 内御玉殿から200mほど上った鬱蒼とした森の中に鎮座しています。中央の拝所から周囲を垣に囲まれた中に本殿です。

 

本殿

 古くは神殿(こうどの)に付属した社殿だったと云われています。現在の社殿は昭和7年(1932)伊勢神宮から下賜された木材で改築されています。


  上社前宮本殿

スワ神は遠く上古の「古事記日本書紀』の中にみえるが、ここ前宮は古来より諏訪明神の住まう所として生き神となる諏方大祝の居館を存し神秘にして原始的なミシャグジ神を降して諏訪明神の重要な祭祀・神事を取り行った聖地である
 四方に千古の歴史をきざむ御柱を配し精進潔斎に浴した水眼の清流をひかえて鎮座する前宮本殿はその古姿を伝えながら昭和七年に改築されに
   安国寺史友会  (現地案内板)


一の御柱

 本殿の右(北西)にあります。長さ約17m、目通り直径約1.2mの樅ノ木です。

  御柱(おんはしら)
 前宮一の御柱である、長さ五丈五尺(約十七米) 目通り直径約一、二米の樅の木である。 御神徳の更新を祈る氏子の話を結集した御柱である、
上社綱道場(御柱置場)より長さ二十数キロの行程を数千人の氏子の奉仕により曳行されるので裏側は擦り減っている。 茅葺の御宝殿と共に寅歳の七年目毎に建て替えられる御神木で神域の四隅に建立される
御柱祭は天下の奇祭としてて有名であり次回の御柱祭は平成二十二庚寅歳に行なわれる
    諏訪大社務所 (現地案内板)

 

本殿から参道

 小雨の中をたたずむご婦人?


眼下の景観

 生憎の天気でしたが、清々しい気分で、眼下に広がる景色をしばらく見つめていました。


水眼の清流

 本殿の左を流れる清流です。上に二の御柱です。


 名水「水眼」すいが の清流
古くから。すいが、と呼ばれ、山中より湧出する清流は、前宮の神域を流れる御手洗川となり、昔からご神水として大切にされた。
 中世においては、この川のほとりに精進屋を設けて心身を清め、前宮の重要神事をつとめるのに用いたと記録されていい
この水眼の源流は、これより約一キロメートルほど登った山中にあるが、昭和五年に著名な地理学者・三沢勝衛先生によって、はじめて科学的調査かされ、その優れた水質は「諏訪史」第二巻に取りあげられている。
  安国寺史友会 (現地案内板)

 

二の御柱

 本殿の北東に建てられています。
 

三の御柱

 本殿の南東に建てられています。

 

四の御柱

 本殿の南西に建てられています。