
大神神社-尾張(おおみわじんじゃ)を掲載しました。
おことわり:掲載の写真は、参拝当日(04/01/2009)のものです、現在と異なっている場合があります。
尾張國一の宮「式内社」大神神社(おおみわじんじゃ)
<通称>>>
【鎮座地】〒491-0914 愛知県一宮市花池2-15-28 旧尾張国 中島郡
【電話】0586-45-5846(宮司宅)
【旧社格等】郷社
尾張國一の宮
式内社 尾張國中嶋郡 大神神社 名神大
【御祭神】・大物主神
【例祭】 10月10日 例祭
【御由緒】
鎮座地 愛知縣一宮市花池二丁目十五番ノ二
「旧鎮座地愛知縣一宮市大和町宮地花池字西屋敷
社格 延喜式内社 旧郷社
祭神 大物主神
崇神天皇の御代、疫病が流行したときに天皇が祀った神々の一柱。大和の國一の宮大神神社の祭神で、三輪の神とよばれ、大國主神 (大國様)の別名がある。
大和の大神神社と同じく、大和系の人々が三輪の神を祀ったことにはじまるといわれる。鎮座地の花池は水が美しく、蓮田が多く、毎年熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼であった。
奈良時代に國司が赴任して、國中の神社を代表として國府宮の、尾張大國霊神社を尾張の總社に指定、次いで花池の「大神神社」と、真清田神社をまとめての「相殿、対の宮」、と言うことで「尾張の一の宮」に指定した。 「文徳実録」「尾張國帳」には従一位大明神とあり三宮明神 三明神(神宝して珠・鏡・矢とと三種の御証印があった)と称せられ、延喜式神名帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判る。
尾張の國中には、大名神八座・小一二三座あって、当時の大名神八座の内の一座である。
例祭日 十月十日
御神徳 産業開発・五穀豐熟・無病息災・方除け・縁結び
境内外摂末社 六所社・三島社・白山社・神明社・招魂社・素戔嗚社
境内地坪数 五一八四㎡
主な祭典 新年祭・田打祭・祈年祭 新嘗祭・湯ノ花祭・年越祭
構築物 神馬(九尺)
宝物 木造狛犬(高サ二尺)一対、市文化財指定 神宝刀剣三振 (市博物館に保管)
尾張國一之宮大神神社 山田宮司 (拝殿由緒掲示板)
神社の御由緒・沿革
ここ尾張地方は、木曽三川の河口部に開けた、広大な沖積平野。川が入り乱れて、網の目のような低湿地。葦の生え茂った、大きな梁から転じて大梁・尾治・尾張になったとも言われている。
人が住み着き集落ができ、弥生時代から古墳時代にかけて、邪馬台国から大和の国の頃、次第に東に「開拓」が進み、ここ「花池」にも大和系(三輪族)の人々が大物主神を祀る「大神神社」を建て、祖先を祀り日々の安泰を祈り、団結のシンボルとして神社を中心にして部族を発展させた。
一方、神武系の人々は、真墨田神社(後の真清田神社)を相殿という形で建てて「天火明命」を祀った。
また、奈良時代に国司が赴任して、国中の神社を代表として国府宮の「尾張大国霊神社」を尾張の「総社」に指定、次いで花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめての「相殿・対の宮」と言うことで「尾張一の宮」に指定した。
嘉祥三年(八五〇)「文徳実録」「尾張国帳」には、従一位大名神とあり、三宮明神・三明神(神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印があった)と称せられ、延長五年(九二七)延喜式神名帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判る。
尾張の国には、大名神八座・小一一三座あって、当時の大名神八座の内の一座である。
昔の花池村は「三輪氏」一族の地方だった故か?三輪郡・大神郷・熱田の庄蓮池と言われ、各所に白蓮が咲いていたとかで「蓮池」そして「華池」「花池」となり今日に及ぶと、伝えられている。
宮司所感
沿革由緒より考えれば、推測しがたいほど遠い祖先より引き継がれ、今日に至っております。
私達も又祖先と同じように、私達の産土の大神、私達の守護神、併せて私達の心の拠り所として、或いは私達の共同の資産であり、遺産となるこの神社を、
いつまでも大切にお守りして私達の子孫に伝えたいと思います。
(神社パンフレットより抜粋)
【参拝月日】 04/01/2009
境内入り口の鳥居

愛知県の北西部に位置する一宮市にあります。JR東海道本線尾張一宮駅の南1kmほどの花池に鎮座。住宅街の狭い道路に面して鳥居です。
「式内社 大神神社」とある社号標は昭和31年2月再建立。
手水舎

鳥居をくぐってすぐ左にあります。水口は立派な竜です。
境内全景

境内は綺麗に整備されています。右から、神馬像、社殿の前に狛犬と灯篭が並び、拝殿、奥に本殿が続きます。
拝殿

拝殿は特徴のあるピンク色にされています。造営年代等不明ですが、割と新しいものと思われます。
拝殿の扁額

扁額には、「延喜式内大社 大神大明神 當國八社之内」とあります。
拝殿から蕃塀

拝殿の前方に、蕃塀(ばんぺい)と見られる建物があります。
蕃塀(ばんぺい)は、神社の参道上にある塀である。社殿を直視できないようにするため、または不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされる。(wikipedia.より)
狛犬と灯篭

拝殿の前には、大小の狛犬、灯篭が並んでありますが、左側の狛犬と灯篭の狛犬には大正三年一月の日付が見られます。
拝殿

鎮座地の地名の花池は、水が美しく、蓮田が多く、毎年熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼であったことからと伝えられています。

拝殿の右にあります。各地の神社に見られる、戦火に散った英霊を祭る招魂社です。
本殿


本殿は瑞垣に囲まれた中にあります。流造、銅板葺きです。造営年代等不明です。御祭神は、大物主神が祀られています。
創始は、大和の大神神社と同じく尾張を開拓した大和系(三輪族)の人々が三輪の神と呼ばれる大国主神を祀ったことに始まると伝えられています。
本殿


奈良時代に真清田神社の「相殿・対の宮」として両社ともに尾張國一之宮に指定されました。
延長五年(927年)延喜式神名帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判ります。
御神木

鳥居を入ってすぐ左、手水舎に続いてあります。かなりの巨木ですが、樹齢、大きさ等不明です。