
本家サイト九州神社紀行に諏訪大社・下社春宮(すわたいしゃしもしゃはるみや)を掲載しました。
おことわり:掲載の写真は、参拝当日(05/16/2009)のものです、現在と異なっている場合があります。
信濃國一の宮「式内社」諏訪大社・下社春宮(すわたいしゃしもしゃはるみや)
<通称>
【鎮座地】〒393-0092 長野県諏訪郡下諏訪町193 旧信濃国 諏訪郡
【電話】0266-27-8316 https://suwataisha.or.jp/
【旧社格等】 官幣大社(現別表神社)
信濃國一の宮
式内社 信濃國諏方郡 南方刀美神社2座 名神大
【御祭神】 ・建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)
(配祀)
・八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)建御名方神の兄神。国譲りの際にはすぐ服従したとされる
【例祭】 4月15日 例大祭
【御由緒】
諏訪大社由緒略誌
御鎮座地
当大社は諏訪湖の南北に二社ずつ、四ヵ所に鎮座する独特の形の神社で関係の摂末社は六十有余社を数え群内全域に分散しています。
諏訪大社 上社、本宮、長野県諏訪市中洲宮山鎮座。前宮、長野県茅野市宮川鎮座。
下社春宮、長野県諏訪郡下諏訪町鎮座。秋宮、長野県諏訪郡下諏訪町鎮座。
御祭神
建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)
建御名方神は大国主神と高志沼河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
下社には御二柱に併せて御兄神八重事代主神を祀りますが、一般には古くから上社に男神、下社に女神の信仰が広く伝わっております。
御鎮座、並、旧社格
御鎮座の年代は千五六百年から二千年前と言われ詳細については知るすべもありませんが、我国最古の神社の一つと数えられます。
延喜式神名帳には南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)と記され、信濃国四十八座の第一にあり、当時既に信濃国一之宮として信仰されていたことがわか ります。明治四年に国幣中社に列格、同二十九年に官幣中社、大正五年に官幣大社に昇格し、終戦を迎え昭和二十三年に諏訪大社と改称致しました。
諏訪信仰
全国に分布する御分社は一万有余社を数えお諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、敬われつゝ巾広い信仰を有し、御神徳の数々、枚挙にいとまありませんが、
古くからある信仰には雨や風を司る竜神の信仰や、水や風に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名です。また水の信仰が海の守り神となり、
古くからあ る港の近くには必ずと言っても良い程にお諏訪さまがお祀りされております。
神功皇后の三韓征伐や坂上田村麿の東夷平定にも神助ありと伝えられ、東関第一の軍さ神、武家の守護神とも尊ばれて来ました。
精進潔斎を形だけする者より、肉を食べても真心込めて祈る者を救おうという諏訪大明神御神託や、浄瑠璃や歌舞伎の本朝二十四孝が世上に広まるにつれ、
日本の屋根信州諏訪の地へとの参拝者も日と共に繁く、諏訪大明神の御神徳の厚きことが伺われます。
下社春宮
中央線下諏訪駅から北西へ1キロ、秋宮から西へ1キロの位置で旧中仙道添に鎮座します。上社へは諏訪湖を隔て約10キロです。
社頭から真直ぐ八百米程伸びる道路はかっては春宮の専用道路で、下社の大祝金刺一族を始め多くの武士達が流鏑馬を競った馬場でした。途中の御手洗川に懸かる下馬橋は室町時代の建立ですが、建築様式は鎌倉時代のもので1730年代の元文年間に修築されましたが、下社では最も古い建物で遷座祭の折りに神輿はこの橋を渡ります。
入口の御影石の大鳥居は万治二年(1659)建立と推定され、境外にある万治の石仏と同じ作者と言われます。
神楽殿と拝殿、左右片拝殿及び御宝殿と続く建物の配置は秋宮と同じです。神楽殿は修改築が幾度となくなされています。春宮と秋宮の社殿の建替が諏訪藩に依って計画された時に同じ絵図面が与えられたと見え、大きさこそ違いますがその構造は全く同じで、春秋両社の建築は彫刻において技が競われております。春宮の社殿は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門が請負い、秋宮より後から着工して一年早く安永九年(1780)に竣工しました。
御宝殿は上下社共に三間四方で、方三間の神明造りと言います。下社では寅年と申年の左右の御遷座祭の他に半年毎に春宮と秋宮の遷座祭が執行されます。御宝殿奥の御神木は杉の木で、秋宮は一位の木が祀られています。
神楽殿の西の建物が筒粥殿、その西の清流は砥川です。川の中の島は浮き島と言い、どんな大水にも流されず下社七不思議の一つです。お社は浮き島社と言い、清め祓いの神を祀り六月三十日の大祓式、夏越しの祓いはこゝで行ないます。鎌倉武士が御射山の祭典に参列する時まずこの川で身を清め八島高原へ登山したと伝えられます。
御社殿
上社本宮、幣殿、拝殿、左右片拝殿、脇片拝殿、以上天保九年(1838)、四脚門、慶長十三年(1608)。下社春宮、幣拝殿、左右片拝殿、以上安永九年(1780)。下社秋宮、幣拝殿、左右片拝殿、以上安永十年(1781)、神楽殿、天保六年(1835)。
(平成祭りデータ)
【参拝月日】 05/16/2009
境内入り口の鳥居

万治2年(1659年)の建立と推定され、高さは8.2m、御影石の大鳥居です。
長野県諏訪郡下諏訪町にあります。諏訪湖の北、JR中央本線下諏訪駅から北西へ約1km、秋宮から西へ1kmの位置で旧中山道沿いに鎮座しています。
境内全景
右から、御神木の「結びの杉」、仮拝所、神楽殿と並んでいます。奥の幣拝殿·左右片拝殿は保存修理工事中のため見られません。この工事では屋根が檜皮葺に復元されました。
神楽殿


太い大注連縄が特徴の素木造りで、神楽を奉納する社殿です。
天和年間(1680年代)に建立されたものです。春宮の社殿の配置、構造等秋宮と同じで、彫刻等でお互い技が競われています。
仮拝所

幣拝殿等の修復工事のため、神楽殿の横に仮拝所が設けられれていました、
一の御柱

幣拝殿の南東の位置にあります。大きさは、長さ17m余、直径1m余です。
御柱(おんばしら)
御注は寅年と申年の七年月毎に御宝殿の造営と共に建替えられる御神木で社殿の四隅に建立されています。
この春宮一乃御柱は長さ十七米余 直径一米余の樅ノ樹で霧峰高原に続く東俣國有林に於て伐採され、数千人の氏子の奉仕により曳行されました
御柱祭は天下の奇祭として有名であり次回は平成二十二庚寅年に行なわれます。
諏訪大社(現地案内板)
若宮社

神楽殿の右(東側)にあります。御祭神建御名方神の御子神十三柱を祀る摂社です。
若宮社わかみやしゃ。(攝社)
例祭日、七月一日、每月一日
御祭神
建御名方彦神別命(たけみなかたひこがみわけのみこと)
伊豆早雄命(いずはやをのみこと)
妻科比賣命(つましなひめのみこと)
池生神(いけのおのかみ)
須波若彦神(すわわかひこのかみ)
片倉辺命(かたくらべのみこと)
蓼科神(たてしなのかみ)
八杵命(やきねのみこと)
内県神(うちあがたのかみ)
外県神(そとあがたのかみ)
大県神(おほあらがたのかみ)
お諏訪さまの御子神十三柱をお祀しております
上諏訪社

若宮社の右に並んであります。上社の御祭神建御名方神が祀られています。
上諏訪社かみすわしや。(末社)
例祭日、七月十五日
御祭神、建御名方神
上の駅訪。つまり上社の御祭神をお祀りしています
参道から鳥居

下社春宮と秋宮では、年2回、2月(秋宮→春宮)と8月(春宮→秋宮)遷座祭が行われ、交互に御霊代が移されます。つまり神様は2月~7月、春宮、8月~1月、秋宮となります。
下馬橋


鳥居から一直線に延びる参道、大門通にあります。この通りはかっては春宮の専用道路で、下社の大祝金刺一族を始め多くの武士達が流鏑馬を競った馬場でした。
1
これより下乗下馬、駕籠や馬から下りた身を清めるところです。御手洗川にかけられて、その形から俗に太鼓橋と言われます。
下馬橋


室町時代の建立ですが、建築様式は鎌倉時代のもので1730年代の元文年間に修築されましたが、下社では最も古い建物です。
1 遷座祭の折りに神輿はこの橋を渡ります。御柱の曳行の時も柱を清めるためにそこを渡すのを例としています。