伊和神社(いわじんじゃ)を掲載しました。
おことわり:掲載の写真は、参拝当日(10/24/2008)のものです、現在と異なっている場合があります。
播磨國一の宮「式内社」伊和神社(いわじんじゃ)
<通称>>
【鎮座地】〒671-4133 兵庫県宍粟市一宮町須行名407 旧播磨国 宍粟郡
【電話】 0790-72-0075
【旧社格等】國幣中社(現別表神社)
播磨国一宮
式内社 播磨國宍粟郡 伊和坐大名持御魂神社 名神大
【御祭神】・大己貴神
配祀 ・少彦名神 ・下照姫神
【例祭】 10月15日 秋季例大祭
【御由緒】
大己貴神は国土を開発し、産業を勧めて生活の道を開き、或は医薬の法を定めて、治病の術を教えるなどして、専ら人々の幸福と世の平和を図り給うた神であります。
大神は播磨国に特別の御恩恵を垂れ給い、播磨国内各地を御巡歴になって国造りの事業をされ、最後に伊和里(現在当神社のある地方)に至りまして、我が事業は終った「おわ」と仰せられて鎮まりました。ここに於て人々がその御神徳を慕い、社殿を営んで奉斎したのが当神社の創祀であります。
その御神徳により、古来、農業・工業・商業等産業の神、縁結びの神、福の神、病気平癒の神、又、交通安全の神として崇敬されております。
一説に、成務天皇甲申歳二月十一日丁卯(一四四年)、或は欽明天皇二十五年甲申歳(五六四年)の創祀とも伝えております。
以上
(平成祭りデータ)
【参拝月日】 10/24/2008
表参道入り口
兵庫県西南部にあたる、播磨国の中心は国府、総社のあった姫路ですが、播磨国一の宮の当社はは姫路から40㎞、揖保川を遡った山間部の宍粟市一宮町にあります。
国道29号線(因幡街道)沿いの緑豊かな鎮守の森に鎮座しています。
国道の対面の「道の駅播磨いちのみや」に当社駐車場があります。
https://michinoeki-ichinomiya.com/
表参道
入り口の注連縄をくぐって進むと、鬱蒼とした樹々に囲まれた参道が続きます。鳥居から奥に随神門が見られます。
鳥居
小川に架かった橋を過ぎるとかなり立派な両部鳥居です。
鳥居の扁額
シンプルに「正一位伊和大明神」とあります。
随神門
鳥居に続いてほどなくあります。この門を抜けて左に曲がると社殿のある境内です。
境内全景
かなり広々とした境内です。右(西側)に御神木の夫婦杉、中央に社殿、左手(東側)奥に、境内社が並び、社殿左側に神饌所、社務所が並んでいます。
拝殿
安政5年(1858)落成。銅板葺の平入入母屋造に唐破風付きの向拝と千鳥破風の付いた様式になっています。
当社地は、縄文時代から拓かれていた地で、山陽と山陰を結ぶ交通の要衝に位置し瀬戸内海と日本海を結ぶ重要な役割を担っていました。そのため交通安全の神としても崇敬されています。
社殿全景
左から本殿、幣殿、拝殿、と並んでいます。
幣殿
あまり見られない、大きな幣殿です。安政6年(1859)に上棟されました。明治時代までは総神殿と称していました。
本殿
一間社の小さな本殿ですが、大庇をかけ、床を高々と上げた特徴のある造りです。随所に見事な彫刻が施されています。
主祭神は、大己貴神、伊和大神とも呼ばれます。播磨国内各地の国造りを終え、伊和里(当社のある地方)に鎮まり、人々が社殿を営んで奉斎したのが当社の創始です。
一説に、成務天皇甲申歳2月11日丁卯(144年)、或は欽明天皇25年甲申歳(564年)の創祀とも伝えられています。
右から播磨十六郡神社(東八郡)、五柱社と並んでいます。
五柱社
御祭神は天照皇大神 宇賀魂神 國底立神 素戔男命 猿田彦の五柱。
播磨十六郡神社(東八郡)
播磨國東八郡の式内社の神々が祀られています。
御霊殿
五柱社の左にあります。伊和恒郷命・旧神戸村の戦死者・万国の戦死者が祀られています。
播磨十六郡神社、西八郡
本殿の右(西)に在ります。播磨國西八郡の式内社の神々が祀られています。
鶴石
本殿の裏にあります。2羽の大きな白鶴が北向きに眠っていた場所に社殿を造営したとの伝承にちなむ石です。
本殿が北向きであるのも、鶴が北向きに眠っていたことによると伝えられています。
鶴石
昔 大神 伊和恒郷に託宣あり 驚きて見るに一夜のうちに杉桧生い繁りて 聖地を成し空に鶴群れ舞いその中大きな二羽北向で、眠り居たりその跡に神殿を造り奉斎せり これ当社の起源なりと伝う鶴の居た石を鶴石または降臨石という(現地案内石碑より)
神楽殿
拝殿の右手前(境内西側)にあります。
西参道
社殿の西側の参道です、随神門の先に市杵島姫神社があります。
当社の参道は、国道29号線に面した表参道、表参道から分岐する北参道、境内の左側の南参道と4か所あります。