九州神社紀行2

北九州近郊を中心に神社、野鳥および周辺風景の撮影日記です。

高千穂神社(宮崎県高千穂町)リメイク版

 8/19(水)古事記、日本書紀シリーズ、海幸彦、山幸彦の誕生

ニニギノ命(邇邇芸命)はコノハナノサクヤビメ(木花之佐久夜毘売)と一夜を共にして、大分たったある日、コノハナから「あなたの子を身ごもっていましたが、今や出産の時期となりました」と言われます。二ニギは納得せず、「自分の子ではない、どこかの国つ神の子ではないか」と疑います。
 コノハナは身の潔白を明かすため、誓約をする決意を示します。コノハナは「お腹の子が、国つ神の子であるなら、無事には生まれてこない、天津神の御子であるならば、どんなことがあろうと無事に生まれてくる」と誓いの言葉を述べます。

 出入り口のない産屋をつくり、周囲を塗り固めて塞ぎ、火を放ちます。炎が燃え上がる産屋、そんな中でも無事に生まれてくれば、天津神の御子である証となる。その時、ホデリ命(火照命)が生まれる、次にホスセリノ命(火須勢理命)その次にホオリノ命(火遠理命)別名ヒコホホデミノ命(彦火火出見尊)が生まれます。

 こうして3人の男の御子が生まれ、コノハナは身の潔白を証明、ニニギの疑いを晴らすことが出来ました。
長男、ホデリは海の幸を求める海佐知毘古(海幸彦)となり、三男ホオリ(別名ヒコホホデミ)は山の幸を求める山佐知毘古(山幸彦)となりました。

 物語は山幸彦を主人公に、兄と弟の争い、から神武の誕生へと続きます。

ニニギとコノハナ以下、日向三代の夫婦神を祀る、高千穂神社を掲載します。

 

以下、(2007/12/16)掲載のものです。一部写真を追加しています。
 
おことわり:掲載の写真は、参拝当日(2007/12/01)のものです、現在と異なっている場合があります。

 

 高千穂神社(宮崎県高千穂町)を掲載しました。

 高千穂神社(たかちほじんじゃ)
<通称>高千穂宮・十社さま(たかちほのみや・じっしゃさま)
【鎮座地】〒882-1101 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037 旧日向国 臼杵郡
【御祭神】高千穗皇神
      天津彦彦火瓊瓊杵尊 木花開耶姫命 彦火火出見尊 豐玉姫命 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 玉依姫命
    (配祀)十柱大明神
      三毛入野命 鵜目姫命 太郎命 二郎命 畝見命 照野命 大戸命 靈社命 淺良部命 三郎命
【例祭】4月16日 春季例祭
【旧社格等】村社 現別表神社
【御由緒】
 高千穂宮御由緒
当宮は初め高智保皇神と申し上げて、この地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊、木花開耶姫以下三代の神々をお祀りし、千百余年前の仁明・清和両朝には日向国最高の御神階が授けられたことが六国史に記されております。
 神武天皇の皇兄三毛入野命が御東征の途次高千穂に帰られて日向御三代をおまつりされたのが初めで、その子孫が長く奉仕されて後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀して十社大明神の神名で親しまれ、古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきました。
 源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝物を奉納し重忠手植の秩父杉は八百年を経た今も社頭高くそびえています。
 文永、弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃征西将軍懐良親王御祈願等、古記録や宝物も多数残っています。
 天正年間三田井氏が滅んで延岡領となりましたが、歴代藩主はそれぞれ社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。
 大正十四年秩父宮御成をはじめ十数家の皇族の御参拝もあり、昭和四十六年七月一日別表神社に列せられました。
 天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮は、今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして広く信仰されております。
 例祭日 四月十六日
 猪懸祭 旧暦十二月三日
 (社頭由緒掲示板より)

 
 宮崎県北部、九州脊梁山地のほぼ中央に位置し、神話の里と言われ、天孫降臨の地とされる高千穂町の中心部にあります、高千穂峡に向かう途中の道路沿いに鎮座しています。

参道入口

鳥居をくぐると左に手水舎があり、石段の参道が続きます。

 

参道

参道は鬱蒼として燈篭の明かりがきれいです。社殿のある境内へは石段を上ります

 

拝殿 

 階段を上りきると、右手に授与所、正面に社殿です。階段を上りきると、右手に授与所、正面に社殿です。

 直前にみごとな公孫樹があり社殿とのコントラストがきれいです。

 

拝殿のの扁額

「高千穂神社」とあります。

高千穂は、「稲穂の霊力に満ちた土地という意味が秘められていると云われています。

 

社殿全景

 

本殿 

 国指定重要文化財 安永七年(一七七八年)立替
九州南部を代表する大規模な五間社本殿建築で地方色も顕著に有している。
 平成十六年七月六日告示

創建は人皇第十一代垂仁天皇の御宇御鎮座(伊勢神宮と同時御創建と伝ふ)と伝えられています。

 

本殿の彫刻

 本殿の彫像は当宮の御祭神三毛入野命が霜宮鬼八荒神を退治なされたものと伝えられます。
 荒振神(あらぶるがみ)どもを平げ農業や産業の道を拓かれた三毛入野命は厄祓や産業の神としても深い信仰があり鬼八退治にちなんだ猪懸祭は十二月三日に行われ神道祭祀の原型をとどめた古事として有名です。鬼八塚は町内に三ヶ所ありそのなかの首塚は現在ホテル神州の東北にあります。
 高千穂宮 (案内板より)

夫婦杉

拝殿左にあります。
 此の二本の杉は夫婦杉と申しまして根元が一つになって如何なる事があっても別れられない形を現して居ります。
この廻りを手をつないで3回廻ると夫婦友人睦まじく家内安全で子孫は繁昌の三つの願いが叶ふと伝わって居ります。
夫婦、友人、婚約者の方が手をつないで廻っている姿が絶えません。
 日向なる逢初川(あいそのがわ)の畔(はた)にこそ 幾世(いくせ)むすびの神ぞまします(高千穂神楽歌)
 高千穂宮   (案内板より)

秩父杉

 

 当宮は鎌倉幕府の信仰が厚く文治年間源頼朝は秩父の豪族畠山重忠を代参として天下泰平の御祈願に参詣しました。
重忠公手植の杉は「秩父杉」と号(なづ)けて今なお社頭に高くそびえ千古の歴史を伝えております。
 目通(30尺9メートル)高さ(180尺55メートル)樹齢(約800年)
 (案内板より)

 

境内社、荒立神社と四皇子社 (県文化財指定)

 荒立神社の御祭神は猿田彦大神と天鈿女命で交通安全、縁結び、芸能の神さまとして信仰されています。
 四皇子社には神武天皇とその御兄弟四柱の神(五瀬命)(稲氷命)(三毛入野命)(佐野命)が祭られ日本建国に功績をのこされた神々です。
 高千穂神社
 高千穂町教育委員会
 (案内板より)


高千穂宮鎮石(しずめいし)の由来

 第十一代垂仁天皇の勅命により我国で始めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた際用いられた鎮石と伝えられます。
尚住吉、関東鹿島神宮御社殿御造営の際高千穂宮より鎮石が贈られ同宮神域に要石として現存しています。
 またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています。
 (案内板より)


 社殿全景



 拝殿から参道

 向かって右は秩父杉です。

境内右手にある神楽殿では、毎晩、夜神楽33番の中の代表的4番が観光客向けに奉納されています。